眠れないのでひさしぶりに雑談。
僕が一番印象に残ってるのは1983年の日本シリーズ。まだ野球が日本中を沸かせていた頃のお話。他に娯楽が少なかった時代のこと、飲み屋や職場ではサラリーマンが江川の不甲斐無さに愚痴をこぼし、日本中の小学生は当時30円のプロ野球チップス(コンソメ味)を喰いまくっていた。まぁだいぶ昔のことなんで所々記憶違いがあるかもしれないけど。
当時常勝軍団としての歩みを見せ始めていた広岡西武と、藤田監督率いる巨人の戦い。西武には田淵・テリーの両大砲とスティーブ、石毛、山崎、大田卓司など脇役も渋いのが揃っていた。投手陣はすらっとしたモデルばりの体型の渡辺久信にオリエンタルエクスプレス・郭タイゲン、死球王東尾、森繁に松沼兄・弟など。工藤なんかもいたかもなぁ。
巨人はといえば、江川、西本、槙原の3本柱を軸に投手力を前面に押し出す野球で、青い稲妻松本やダンディ篠塚、絶好調中畑(笑)、スミスに原など、今の大砲巨艦一辺倒のジャイアンツと違って魅力に溢れてた。
今から21年前ってことは、8歳か。ちょうどリトルリーグに入っていたっけ(続かなかったけど・笑)。多摩っこの常として西武ファンだった僕は、同じく多摩っこの友達と連れ立って、グローブ、旗、メガホンの3種の神器を当然電車の中から装備して所沢にある西武球場にあしげく通っていた。誰かの親が交代で引率してくれてたんだろう。チケットは新聞屋に言えばだいたい無料で手に入った。
西武球場は前にも書いたとおり駅から球場への道が素晴らしく、またすり鉢状にくぼんだ地形のため球場に着くとグラウンドの全景が目の前に広がるわけだ。で、日本シリーズというのはそれこそ国民的行事で、当時はデーゲーム、その日ばかりは日本中の小学生は授業中も上の空で、休み時間など先生が特別に教室のテレビで見せてくれたりする。で、学校が終わった瞬間超特急で誰かの家へ集まって続きを楽しむ、そんな夢のような1週間だったわけだ。晴れ渡る秋空の下で始まり、途中西日が差し、夕暮れへ向かっていくその様は、思い返せばため息が出るほど美しく、さながら我が心の現風景といったところ。
そしてその日は、巨人の3勝2敗で迎えた第6戦。4勝すれば優勝なのでこちらとしてはもう負けられない1戦。僕はそこにいた。試合経過は忘れたが二転三転、えらく盛り上がった記憶がある。もう遅いから途中で帰ろうと誰かの親に言われたが頑として聞かなかった。そして漆黒の闇に狭山の森が覆われぽっかり球場だけが光と熱気に包まれていた延長10回、代打金森のサヨナラタイムリーで熱戦に終止符が打たれた。そしてこの年勢いに乗った西武は続く第7戦も勝ち、日本シリーズを制覇する。
あれから20年。
いろいろなことがあって、いろいろな人に会って、
愛し合ったり、憎しみ合ったり、いろいろな思いをして生きてきた。
それは今も続いていて、死ぬ瞬間まで続くんだろう。
みなさん、これからも4649。
たくさんいろんな思いをしましょう。愛でも憎しみでももう目一杯。
というわけでこれが僕の"Field of Dreams" もしくは"New Cinema Paradise" 楽しんで頂けましたでしょうか?
ツイート