2005/05/28

日本と中国

いや〜やり合ってますね。日本と中国。
showroomを訪れる人となるべくフラットに接したいからちょっと意識的に避けてきたとこもあるんだけど、今回は珍しく政治の話など。

さて、原爆を落とされてもシベリアで抑留されてもころっと忘れて仲良くできる日本と中国の民族性の差だろうか。明治維新以降の変わり身の早さと何でも受け入れる仏教精神?僕はいいところだとも思うけど。笑

しかし本質は、中国指導部が声高に叫ぶのは今緊張感を高めることに利があるから。指導部は尖閣列島などの領有権、海洋資源、台湾海峡問題を有利に解決していくために民衆の反日感情を利用していると見る。
もちろん長期的には両国とも関係は損ないたくないし、のっぴきならない所までは行きたくない。経済的に両国は共生関係にあるからだ。

中国政府はことの是非で動いてはいない。
1972年に田中角栄と周恩来が締結した日中国交正常化も、その時点での国益にかなっていたから。結果中国は戦争賠償請求を放棄し、替わりに台湾承認への反対とその後の発展に寄与することとなる円借款を取り付けた。


小泉首相の靖国参拝には個人的にはトヨタ奥田会長の意見に近い。
「国益のためにならないことはするな」と。
ただ、靖国参拝=国益に反するものでもないとも思っている。参拝するならそれも含めてどういった関係、国益を考えているかその道筋が見えないのに苛立つ。
A級戦犯や日本の宗教習俗に対する解釈によって変わってくるので、靖国参拝=絶対悪とも思わない。関係を損なうことが主旨ではないので検討すべき問題とは思うが。


日本も主張したらいい。一国の首相との会談をキャンセルするなど言語道断だと。領事館投石をコントロールしない中国政府、度重なる領海侵犯に対しても同様。オリンピックやW杯だってあるのにこんなんで運営できんの?って。
(ここで言う「やり合う」とは「A級戦犯は罪人でない」−森岡政務官とかではない。「東京裁判で決着済み」−小泉はOK。)

中国の主張を受け入れることばかりが友好ではない。やり合う部分はやり合う。その裏ではきっちりお互いの落とし所を探る。そのためのチャンネルを築く。それが政治だ。(田中角栄と毛沢東のやり取りはまさにそれ。青木直人著田中角栄と毛沢東に詳しい)

中国が反日感情を圧力として使うなら、参拝をやめて何を得られるのか。逆に参拝を続けるならその姿勢で何を目指すのか。(教科書については中国うんぬんじゃなくてちゃんと歴史を教えた方がいいと思います。正しいプライドを持ってもらうためにも)
ただ、中国の言うことを聞けば常任理事国入りに繋がるとは思わない。東アジアでの支配的影響力を確立したい中国にとって、アメリカの同盟国であり地域大国でもある日本の常任理事国入りは国益に反するからだ。


政治家やメディアはその発言自体がカードとなるから一面的にならざる得ない部分もあるが(最近の日本の政治家はむしろ無意識であ、言っちゃったみたいなのが多くて失笑もんだが。。慌てて撤回したりごまかしたり)、一個人はそういったものから自由だ。インターネットを媒介として個人が発言する場にも恵まれている。

せめて僕らは単純な感情にも、耳触りのいい美辞麗句にも踊らされず、何が自分たちとその子孫の利益なのか(混血が進みこの概念自体変化していくかもしれないけどね)その為にどういった指導者が必要なのかを冷静に見極めようぜ。隣国との友好関係、世界情勢の安定=平和は自分たちの利益でもある。


どちらにせよ、アメリカの後ろ盾だけではスタンスが限られる。アメリカとの関係を維持しながら、アジア、ヨーロッパ、中東とのより緊密なチャンネルを構築していった方がいいと思う。場合によってはロシアとも(ロシアにとっての必要性が薄いからどうかとも思うが)

具体的な施策については、僕は詳しくないので提案できません。それこそその道のプロ=政治家の登場を待ちたいところ。そこに期待できないのがこの国の悲劇なんだけどね。まいった。笑