子育てに関わっていると、今までオトナとして確立していた気になっていた価値観を覆されることがままある。
一般的に、社会や仕事場で有用とされる人間の特質として、気づいたことに対してさっと手を差し伸べたり動いたり、口を挟んだり、そんな機敏さ利発さがあると思う。
そんな人物は仕事仲間やクライアントから頼りにされ、世間一般での評価も高いのではないだろうか?自分は有用な人材という自尊心も満たされているように思う。
では、子供に対してこれをやるとどうなるか?
・求めているものを察してやってあげる。
・先回りして障害を取り除いてあげる。
・子供が探り探り喋ろうとすることをオトナの立派な言葉で言語化する。
・子供にやらせずオトナの精度がある作業を見せつける。
・子供同士で解決策を模索している時にオトナの尺度で裁く(〜順番にやりなさい)
・自分自身の経験に基づく思い込みで子供の可能性を規定する(〜こういうものだから)
など。
子供が自分で失敗にまみれながらも何かをできたという達成を得られる機会を奪ってしまい、自信が育まれない。
何でもやってもらえるという居心地の良さの中、自立心のない依存的な傾向を持つ子供に育ててしまうのだ。
どうしても第一子は親も子育て初心者なので、よかれと思って上記のようなことをしてしまいがち。親も気づいて成長していけばいいんだろうけど、そうでないと忙しい苦しい子育てが続く。
子供が親に依存している反面、親は「お世話をしている」という思いで子供に依存しているんだと思う。
「手を出したくなる、口を出したくなる時はぐっとこらえて、見守る」
そんな大事なことを、息子が通っている大きな木保育園や、保育園やプレーパーク周りの子育てセンスのある父母たちから学ばせてもらえたのは、自分にとって大きかったと思う。
きっとあなたの周りにも、この家族は楽に子供と向き合ってるな〜とか、子供と楽しそうにやってるな〜とか、子供がいきいきとしていい感じだな〜って家庭があると思う。
そんな家庭のやり方を、教えてもらったり、見て真似したり。その家に親も一緒に遊びにいくと生活が見えるのでオススメだ。
育児仲間に誘われて参加したアドラー心理学の育児パッセージもとても有効だった。子育ての心理面での目標である、1)私は能力がある2)人々は私の仲間だ と子供が思えるようにいかに働きかけるかを主体的に学べる。
そして実は、オトナ同士の関係においても、見守ることは大事なんじゃないかと思っている。
仕事において個人の有能さを発揮するのみならず、人を育てられる領域とはそういうものなんだろう。
夫婦や友人関係においても、目先の解決や快適を求める余り、成長と気づきの機会を奪ってはいないかと、最近は自問している。
そんなことを考えさせてくれる子供たちには感謝しているし、子供に何を学んだか?毎日自分に問い掛けてもいいかもしれない。
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