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2020/03/08

3.11を経験した僕らがコロナ時代を生きること

運営に関わるとある組織での話題。
 
開所すべきか、閉所すべきか。
 
それぞれに意見もあり、それぞれの事情もある。
  
そして一見正統性を持っているようにも見える科学的根拠や専門家の意見も無数にあり、どちらを信じるかはあなた次第、自分の立場を補完する意見が収集されるバイアスがかかっている。
 
リスクに関しても同様だ。日本全体で数名の死亡者なら全体としては大げさな措置だったと言われるのかもしれない。でもたまたま身内が亡くなっていたら別の意見になるだろう。あの時どうすべきだったのか、社会全体でなんとなく合意形成がされるのはおそらく数年後、数十年後。
誰も正解はわからない。
 
 
 
おや?これは3.11の時にあった世界のデジャブかな?
あの時僕らは、それぞれが探してきたニュースやリンクをシェアし合い、議論を戦わせてきた。
●●すべきだ!これは▲▲だ!と。
お互い良かれと思って。
   
誰もが正しくあろうとし、他者には自分の価値基準に照らして正しい行動を求め、反面自身が正しくない行動を取ることを恐れる世界。
 
同じ被災者同士で正解を求め合い、違う立場のものをDISる時、僕らは幸せだったのだろうか?
   
  
   
そして9年後の今回。
意見の対立は、主にリアリティの違いによる。
田舎に住む人都会に住む人。在宅勤務できる人とできない人。家に備蓄がある人ない人。子供がいる人いない人。
そこには善悪なんてないんだ。
  
  
それでも何らか全体で結論を出さなければならない時、自分の意見とは違う形になるかもしれない。
  
たとえ自分の意見と違っても、そこに知恵を出し合う。
その場合こうしたらいいんじゃないかと。
  
いま僕らの民主主義が、試されている。
 
 
 
幸いなことに、僕らの周りには意図を持って独占や貶めようとする人はいないし、反対意見に対しても知恵を出し合う土壌が育まれているのを感じる。
3.11の経験は無駄になってはいない。
 
   
僕はこの局面を、一人ひとりは頑張り、集団では知恵と力を出し合い、あの時は大変だったけどなんか楽しかったよねと振り返れる日がくるんじゃないかと、楽観的に考えている。

この世界は美しいし、きっと人生も美しい。