前々から連れて行きたいと思っていた、石巻市の大川小学校。
3.11震災時、教員指示のもと避難の遅れや判断ミスが重なり、全校生徒108名のうち74名が亡くなった悲劇の場所であり、これからの未来をひらく場所。
大川小学校 周りがすべて更地なのが伝わるだろうか |
通過する仙台市に緊急事態宣言が発布されているタイミングでしたが、娘が6年生に上がる前のこのタイミングしかない!ということで弾丸ツアーで行ってきました。
公益社団法人3.11みらいサポートに個別の見学案内を申込み、ご紹介いただいた震災語り部の三條すみゑさんにご案内頂きました。
雨の中、花が飾られる祭壇に手を合わせてから見学へ臨む。
3.11前までは賑やかだった集落も今は一面更地となりぽつんと震災遺構である小学校だけが残っている。
危険区域に指定された周辺一帯は人が住めないため、夜になれば闇に閉ざされ、動物のみが徘徊している。
時計はすべて3:37で止まっている |
今は敷地内への立ち入りが禁止されている小学校。
校庭に面した壁画には『未来をひらく』という大川小の校歌のタイトルでもある文言が当時の在校生によって描かれている。
悲劇の場所だけど、それだけじゃない。
立入りが禁止された今は見ることができない |
この場所であった生活。この場所であった笑顔。
それらは決して無くなったのではない。
生き残った人々や、関心を寄せる人々を通じて、未来に繋がっていくんだという遺族の方たちの意思を感じて、涙がこぼれ落ちる。。
逃げられるはずだった裏山。
9度ほどの斜面を数10m登った先には、コンクリート打ちされた高台が何段かあり、全校生徒どころか集落の人々を収容しても余りあるくらいのスペース。
実際独断で真っ先に裏山に登った6年生は、先生の指示で降ろされ、泣きながら避難したいと訴えていた。。
裏山への道 |
高台から小学校を臨む |
ここで起きた出来事は、天災であり、人災。
先生たちだって、決して児童の生命を守ろうとしてなかったわけではない。
ただ事後の隠蔽ともとれる事実認定と責任逃れが、未来をひらこうとする意思を妨げる。
震災被災者の心情も様々だ。
辛すぎて目を向けられない人もいる。数年経って向き合うことができた人もいる。
行き場のない怒りを顕にする人もいる。
誰もが、深く傷ついている。
無駄にはしたくないという遺族たちは、訴訟を通じての真相究明(原告勝訴が確定)と、今後の防災への取り組みに繋げていきたいと願っている。
10年ひと区切りと報道では盛んに言われているが、遺族にとっては区切りがついているわけじゃない。まだまだ続いているんだ。
大川小の51分間 |
真剣な眼差しで話を聞いていた子供たちも、途中から集中力が切れたのか、高台で(彼らなりには控えめに)じゃれ始めた。
周りに他の見学者がいる状況ではなかったし、それでいいと思った。
大川小の小学生たちだって、日々じゃれて遊んでいたはずだ。
当たり前の日常。それがある日突然失われるとは思わずに。。
そして誰だって、それは明日かもしれないんだ。
鎮魂の意思は、大人のように痛切な表情でなくとも伝わっていると信じる。
子どもたちどころか大人の話し声すら消えた一帯に響く子どもたちの笑い声は、場への癒やしとなるに違いない。
語り部のすみゑさんと僕も、自然に笑顔がこぼれる。
そんな雰囲気を残したいと思い、一緒に記念撮影して大川小の見学を終えた。
その後はすみゑさんのご好意で、過去お寺があった場所に立つ震災慰霊碑にお参りをして、震災後に巨額の公共事業費を投じてつくられた防潮堤(防潮堤の内側は危険区域ですでに人が住めないため誰のための防潮堤だろう?)や、いまも稼働する牡蠣の養殖場を見学して廻った。
誰も住まない地域の巨大防潮堤 |
うず高く積まれた牡蠣殻の匂いも思い出深い |
すみゑさんはご自身も高校生の息子さんを津波で亡くされて、ある時知人の勧めで語り部を始めたことをきっかけに、未来をひらくことに邁進し続けている素敵な女性だ。
三條すみゑさん 公明新聞サイトより転載 |
彼女の痛みやそれでも前を向こうとする思いは、他人事とは思えない。ただ自分は子どもを亡くしてなお前を向くことができるのだろうか?
予定を大幅にオーバーして(そもそも予定なんてなかった)地元の人も日々利用する温泉ふたごの湯で身体を休め、市井の牛タン屋で舌鼓を打つ。
その土地に来て、その土地の人々と湯に浸かり、同じものを食す。そういうことを僕は大事にしている。
牛タン ほづみ |
ホテルはプレハブを横に延々連結したようなつくりで、おそらく当時ボランティアや作業員を受け入れるために急ピッチで建てられたものだろう(部屋自体はきれいで快適だった)
こどもたちは帰り道で立ち寄った巨大ブックオフで購入した漫画に夢中だ😅
今日一日は、感情や言語化できない感触も含めて、ものすごいインプットがあったと思う。
大人のように整理ができなくても、その感触が残っていればいいと思う。
実をいうと、僕自身もこれを書いていていまだ整理ができていないのを感じるくらいだ。
大川小の存在感と周囲につづく平地のコントラスト
すみゑさんから流れ込んでくる心情
温泉ですれ違う中年の胸板の厚み
牛タン店での何気ないやり取り
オレンジ色に夜空を染める航空自衛隊松島基地の灯り
言語化できない感触、感覚こそが、きっと大事なんだ。
なくなってない。
受け取っている。
そのことを語る人や、その場を訪れる人がいるかぎりは。
いまでもそのことを想うと涙が溢れ出るけど、本当に行けてよかった。すみゑさんと出会えてよかった。
そんな石巻初日。
明日は門脇小学校へ行く予定です。
子連れで石巻へ行ってきた 2日目 門脇小学校〜日和山
https://www.livingroom23.net/2021/04/2.html
大川小学校の今~被災地 宮城・石巻~(2014年時点/現在は敷地内には入れず遠巻きに眺めるしかありません)
https://www.youtube.com/watch?v=rkKpn4LOw70
3.11みらいサポート (語り部の手配をしてくれる窓口。震災伝承事業を担う)
https://311support.com/
大川伝承の会 (定期的に語り部イベントを開催。現在はコロナの影響で休止中)
https://www.facebook.com/ookawadensyo/
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