2021/04/12

子連れで石巻へ行ってきた 2日目 門脇小学校〜日和山

石巻訪問の2日目。

この日は震災遺構である門脇小学校へ子供たちを連れて行きました。
校長先生の指示のもと児童全員が裏手にある日和山へ避難し、その行動につられて住民たちも避難を始めた場所。

引火して全焼した門脇小学校

この地域でも多くの方が亡くなっていて、眼下の町が津波に飲まれていく映像はニュースでも何度も取り上げられているので見たことがある人も多いと思います。

門脇小の向かいにはMEET門脇という伝承施設が3月にOPENしていて、とても伝わりやすく展示されていました。
津波からの避難時に何が起こっていたのか、臨場感溢れる映像と空間ごとプロジェクターで投射したり、震災時にこどもたちが経験したことをアニメ調で映像化していました。

高台の幼稚園から幼稚園バスで低地に移動して津波と火災に遭った園児たちの話は涙を禁じえません。

臨場感溢れる津波映像

学習コーナー

避難路
その後、位置情報からその地点の浸水深さをカメラ画像に重ねてAR体験できる津波伝承ARというアプリを見ながら、実際の避難路を歩いてみることに。

4月上旬とはいえ、雨風もあり、薄着の子供たちはかなりの寒さを感じていました。
10年前の3.11は小雪が舞う中、もっと寒かったはずです。避難後に低体温症で亡くなった方も多いと聞きます。

門脇小からはすぐに高台となり、その先の集落を抜けて神社に隣接する日和山公園へは早足で10分程度。
桜が見事な見頃で、眼下に復興が進む石巻市街を見下ろせます。

石巻市街を臨む

見事な桜



石段を降りていくと、たくさんのお墓がありました。
一部建て直された住宅と更地、比率に合わない墓地の数が、この地域が受けた傷を思い起こさせます。


MEET門脇でお土産を購入して、一路仙台へ。
2日間とも小雨が降りしきる天気でしたが、仙台に着く頃には晴れ間が広がってきました。
なんだか今回は、10年前の3.11を想う天候でよかったように思えました。


渚大阪で遊ぶ娘
3.11の時、週5のサラリーマンと渚音楽祭大阪などのイベント制作を兼業して、1歳の長女を抱えていた僕は、家族を守ることで精一杯でした。
被災地のボランティアや震災・復興関連のイベントに携わることもなく、そのことでどこか負い目のような思いを抱えていました。

それでも3.11のことを忘れることはなく、毎年折に触れてyoutubeやNHKオンデマンドにアップされる震災関連の映像を見続けてきました。


それは防災のこと、いざという時どう生き延びるかの判断はもとより、自分自身がどう生きるか?という問いに繋がっていたように思います。

「その日」がいつ訪れるのかはわかりません。

ニュースに載るようなことでなくとも、個人として迎えることだってあり得ます。
その日まで、当たり前じゃない日々を、どう生きるのか。

被災地は、10年ひと区切りとも言い切れず、どう伝えていくか、これからが始まりなように感じます。
震災遺構である小学校に対してもどう残すか様々な意見があるようですが、遺族のものだけではなく、訪れる人にとっての場所でもあるという言葉が印象に残っています。

昨日訪れた大川小は、子供たちが小学校を残して欲しいと言って大人を動かし、国会まで行って残されることになったそうです。



何度も足を運べる人も限られていると思うので、なるべく近くで、できる範囲で内部まで見られるようになったらいいなと思います。
そこにあった日常を感じられるほど、自分ごととして考えられる度合いも増す気がします。


直接の被災者でなくとも、関心を寄せることや行くこと、寄付することでサポートはできるはずです。

子どもも大人もとても感慨深い、石巻ツアーでした😌

子連れで石巻へ行ってきた 1日目 大川小学校
https://www.livingroom23.net/2021/04/1.html

3.11みらいサポート (語り部の紹介や震災伝承施設の運営を行う)
https://311support.com/

大川伝承の会(語り部イベントの主催など)
https://www.facebook.com/ookawadensyo/

小さな命の意味を考える会(語り部の佐藤敏郎さんの主宰する会)
http://311chiisanainochi.org/

日和幼稚園遺族有志の会(幼稚園バスに乗って津波と火災に巻き込まれた園児たちのご遺族の)
https://www.facebook.com/311hiyori/

かけがえのない日々